この言語についてOverview
ホムシェツィ語(Homshetsma/ホムシェツマ)は、 トルコ北東部と旧ソ連圏に暮らすヘムシン人の一部が話す、 アルメニア語の一変種です。話者自身はhomşetsma(ホムシェツマ=ハムシェンの言葉)と呼びます。
系統としては西アルメニア語のグループに属します。 ただし標準的な西アルメニア語との間に相互理解はほとんど成り立ちません。 数百年にわたる隔絶が、この言語を他のどのアルメニア語変種とも違うものにしました。
3つの集団Three Groups
ハムシェン系の人々は3つに分かれ、言語の状況もそれぞれ異なります。
| 集団 | おもな居住地 | 宗教 | 言語 |
|---|---|---|---|
| 西部ヘムシン | トルコ・リゼ県 | スンナ派ムスリム | トルコ語のみ。 語彙・地名・姓にホムシェツィ語の痕跡 |
| 東部ヘムシン ホムシェツィ |
トルコ・アルトヴィン県(ホパ周辺) | スンナ派ムスリム | ホムシェツィ語(東部方言) |
| 北部ホムシェンツィ | ジョージア・ロシア | キリスト教 | ホムシェツィ語(北部方言) |
北部の人々は、イスラム化を受け入れずサムスン・オルドゥ・ギレスン・トラブゾンの各地方から 移り住んだ人々の子孫です。東部と北部は同じ言語の方言どうしですが、 音・文法・語彙のいずれにも無視できない差があります。
なぜ言語学的に重要なのかSignificance
ホムシェツィ語は、アルメニア語の変種のなかでもっとも古風であると同時に、もっとも独創的という 珍しい位置にあります。理由は3つあります。
1. 分岐が早かった
ハムシェンの人々が本来のアルメニア高原を離れて山間の孤立した村々へ移ったのは、 アルメニア語がまだ比較的一様だった時代でした。そのため、 他の地域では失われた古い形が残り、一方で他に例のない 独自の変化も進みました。
2. 書かれてこなかった
この言語には文字による伝統がありません。そのため、 古典アルメニア語や文語からの影響をほとんど受けていません。 これはアルメニア語の諸方言のなかで例外的なことです。
3. 語彙が「洗浄」されていない
標準アルメニア語は19世紀以降、アラビア語・ペルシア語・トルコ語からの借用語を 古典語由来の語に置き換える整理を経ています。ホムシェツィ語はその整理を受けていないため、 アルメニア語が実際にたどった歴史をそのまま留めています。
文字と表記Writing
ホムシェツィ語は伝統的に話し言葉としてのみ存在してきました。 アルメニア文字で書かれることはありません。
1995年、Bert Vaux と母語話者の1人が、話者自身が書き表せるようにするため トルコ語のアルファベットを基にした正書法を設計しました。 話者の多くがトルコ語の読み書きができること、 音の体系がトルコ語に近いことが理由です。本サイトもこの表記に従います。
| 綴り | 音 | アルメニア文字 | 例 |
|---|---|---|---|
| c | [dʒ] ジャ行 | ճ / ջ | cicu 腸 |
| ç | [tʃʰ] チャ行 | չ | açvi 目 |
| ş | [ʃ] シャ行 | շ | şagluv 背負う |
| j | [ʒ] ジュ | ժ | emmenije いつも |
| ı | [ɯ] あいまい母音 | ը | xınç 犬用の首輪 |
| ğ | [ʁ] のどを鳴らすガ行 | ղ | kyağ 村 |
| x | [χ] のどのハ行 | խ | xarbuv 話す |
| dz | [dz] | ծ / ձ | bidzik 小さい |
| ts | [tsʰ] | ց | aspadz 神 |
表現の例Expressions
東部方言(アルトヴィン県キョプリュジュ村)で使われる言い回しをいくつか挙げます。
| ホムシェツィ語 | 意味 |
|---|---|
| homşetsma xarbi gum | ホムシェツィ語を話します |
| medkis ça | 覚えていません |
| soy hom uni | おいしいです |
| garkevadz es ta | 結婚していますか |
話者と現状Present Situation
東部ヘムシンと北部ホムシェンツィのあいだでは、現在も相当数の話者がこの言語を使っています。 一方、西部ヘムシンではすでに言語そのものが失われ、 語彙・地名・姓のなかに痕跡が残るだけになっています。
村ごとの差が非常に大きいのもこの言語の特徴です。 同じ東部方言でも村が違えば通じにくく、 同じ村のなかでも人によって語形が違うことがあります。 Vaux は、キョプリュジュ村のある若い夫婦で「種」を意味する語が 夫は humt、妻は hunt だった例を挙げています。
ロシアやアブハジアの北部方言話者のあいだでは、ロシア語からの借用語が増えています。 smetan(サワークリーム)、magazin(店)などです。
出典と引用についてSources & Attribution
このページの内容は、次の研究に全面的に拠っています。
Bert Vaux, “Homshetsma: The language of the Armenians of Hamshen”,
in Hovann H. Simonian (ed.), The Hemshin: History, Society and Identity in the
Highlands of Northeast Turkey, Routledge, 2007, pp.257–278.
どのように引用しているか
本文は原典の翻訳ではありません。日本語話者に向けて構成を組み直した要約です。 原文からの逐語的な引用は行っていません。
掲載している語形・意味・音対応・活用形などの言語データは、 同章に示された資料に基づきます。また、系統上の位置づけ、 疑問の小辞 ta の由来、不定形 -uv の独自性といった分析上の主張は、 すべて Vaux 氏の見解であり、本サイト独自の説ではありません。
同章には東部・北部両方言で書かれた手紙と民話が収録されていますが、 これらのテキストは転載していません。 まとまった表現としての著作物にあたるためです。原典でご覧ください。
節ごとの参照箇所
| 内容 | 参照ページ |
|---|---|
| 3つの集団、言語の概況 | pp.257–258 |
| 正書法 | p.258 |
| 西アルメニア語方言群としての特徴 | pp.259–260 |
| ホドルチュル方言との共通点(完了の「持つ」、疑問の ta) | pp.261–262 |
| トラブゾン方言との共通点(g-/-gu、進行の「持つ」) | pp.262–264 |
| 古形(e- 接頭辞、u 活用、指示接語 -s/-d/-n) | pp.265–267 |
| 独自の変化(鼻音の前の a→o、未来形、不定形 -uv) | pp.267–270 |
| 東部方言と北部方言の違い | pp.270–273 |
| 日常表現 | p.273 |
基礎資料
Vaux の章はさらに、Հ. Աճառյան(アチャリャン, 1947年)による北部方言の記述と、 Georges Dumézil(デュメジル, 1964年ほか)による東部方言の記述を基礎資料としています。 音韻論・形態論をより詳しく知りたい方は、これらの原典にあたってください。