700万+世界のアルメニア人(推計)
300万アルメニア本国人口
70+コミュニティが存在する国
1,700年+ディアスポラの歴史
ディアスポラの歴史的背景
アルメニア人のディアスポラは古代から存在したが、現代の規模を形成したのは主に1915年の アルメニア人虐殺(メツ・エゲルン)による。オスマン帝国を逃れた生存者たちが中東・欧州・ 北米に定住し、その子孫が現在も世界各地でアルメニア文化を守り続けている。 また、1991年のソ連崩壊後も多くのアルメニア人が経済的理由でロシア・欧米に移住した。
アルメニア人のディアスポラは古代から存在したが、現代の規模を形成したのは主に1915年の アルメニア人虐殺(メツ・エゲルン)による。オスマン帝国を逃れた生存者たちが中東・欧州・ 北米に定住し、その子孫が現在も世界各地でアルメニア文化を守り続けている。 また、1991年のソ連崩壊後も多くのアルメニア人が経済的理由でロシア・欧米に移住した。
旧ソ連諸国
最大の隣接コミュニティ
🇷🇺 ロシア
推計110〜200万人
世界最大のアルメニア人ディアスポラ。クラスノダール地方・スタヴロポリ地方・モスクワに集中。多くが独立前後に移住した経済移民。ロシア語話者が多く、モスクワにはアルメニア教会・学校・文化センターが存在する。2020年以降、アルメニアのロシア離れが進む中も、コミュニティの規模は維持されている。
🇬🇪 ジョージア
推計25〜17万人
南部ジャヴァヘティ地方にアルメニア人が集住。アフルツィヘ州とニノツミンダ市周辺では人口の大多数をアルメニア人が占める。ソ連時代から定住しており、ジョージア語よりアルメニア語・ロシア語話者が多い傾向がある。
🇺🇦 ウクライナ
推計5万人
キーウ・ハルキウ・オデーサに在住。中世から商人として定住した歴史を持ち、クリミア半島(カッファ)のアルメニア人コミュニティは14〜15世紀に遡る。2022年のロシアによる侵攻後、一部がアルメニア本国や欧州に避難した。
中東
虐殺生存者が形成した歴史的コミュニティ
🇱🇧 レバノン
推計15〜18万人
ベイルートのブルジュ・ハンムードはアルメニア人街として知られ、アルメニア語新聞・教会・学校が集中する。1915年の虐殺生存者とその子孫で形成。レバノン内戦(1975〜90年)や2020年ベイルート爆発事故など困難を経験しながらも、中東最大規模のアルメニア文化拠点を維持している。西アルメニア語の主要な話者地域。
🇸🇾 シリア
推計8〜10万人(内戦前は15万人)
アレッポにはかつて中東最大規模のアルメニア人コミュニティがあり、アルメニア語学校・教会・文化団体が充実していた。2011年のシリア内戦により大多数がアルメニア本国・レバノン・欧米に避難。アルメニア政府は「ポンタモリ・アルメニア人(第三の帰還)」と呼ばれる里帰り支援を行った。
🇮🇷 イラン
推計8〜12万人
テヘランとイスファハン近郊のノル・ジュガ(新ジュルファ)が中心地。ノル・ジュガは17世紀にシャー・アッバース1世が強制移住させたアルメニア人商人の子孫の町で、アルメニア教会・博物館・印刷所が残る。イラン市民権を持つアルメニア人は議会に代表を送る権利を持ち、文化的自治が比較的保障されている。
🇹🇷 トルコ
推計5〜8万人(非公式)
イスタンブールに集中。虐殺を生き延びた者とその子孫が残留。アルメニア人コミュニティはカトリコサート(コンスタンティノープル総主教区)のもとに組織され、教会・学校・新聞を維持している。ジャーナリストのフラント・ディンクが2007年に暗殺された事件は国際的に注目された。本人たちは「ディアスポラではなく、4,000年以上住み続けてきた土地の住人」と自認する。
🇵🇸 パレスチナ・イスラエル
推計1,000〜2,000人
エルサレムのアルメニア人地区(アルメニア・クォーター)は世界最古のアルメニア人ディアスポラコミュニティ。5世紀に形成され、聖ヤコブ大聖堂を中心にアルメニア語学校・修道院・図書館が存在する。現在は約1,000人程度が住むが、歴史的・宗教的に重要な場所として国際的アルメニア人社会から守られている。
🇮🇱 イスラエル
推計800〜1,000人
エルサレムのアルメニア・クォーターを中心に小規模コミュニティが存在。聖ヤコブ総主教区(エルサレム・アルメニア総主教区)がアルメニア教会・修道院・印刷所・図書館・博物館を維持。歴史的にアルメニア陶芸師がエルサレムのタイル装飾で有名で、その伝統が現代にも受け継がれている。
欧米
最も政治的影響力を持つコミュニティ
🇺🇸 アメリカ合衆国
推計150万〜200万人
ロサンゼルス(「リトル・アルメニア」)・グレンデール・フレズノ・ニューヨーク・ボストンに集中。1890年代から移住が始まり、虐殺後に激増。アルメニア系アメリカ人政治行動委員会(ANCA)やアルメニア議会コーカスを通じ強い政治力を持つ。キム・カーダシアン、シェール、チャールズ・アズナヴールなどの著名人もアルメニア系。カリフォルニア州は2019年に虐殺を公式承認した。
🇫🇷 フランス
推計50〜75万人
欧州最大のアルメニア人コミュニティ。マルセイユ・パリ・リヨンに集中。1915年以後の難民が形成。シャンソン歌手シャルル・アズナヴール(本名シャナー・ヴァリナグ・アズナヴーリャン)が最も有名な文化大使。フランスは2001年にアルメニア人虐殺を公式認定した最初の国のひとつ。アルメニア語メディア・学校・文化センターが充実している。
🇩🇪 ドイツ
推計25〜40万人
ベルリン・ケルン・ミュンヘンに在住。第一次世界大戦後の難民と、1991年以降のソ連崩壊後移民で構成。ドイツ連邦議会は2016年にアルメニア人虐殺を公式認定した。
🇦🇺 オーストラリア
推計6〜7万人
シドニー・メルボルンに集中。第二次世界大戦後に移住した難民とその子孫が中心。アルメニア使徒教会・アルメニア語学校・文化団体を維持。
🇨🇦 カナダ
推計8〜10万人
トロント・モントリオールに集中。カナダ連邦議会は2004年にアルメニア人虐殺を認定。アルメニア系カナダ人の政治的影響力は大きい。
アジア
シルクロードの商人が拓いた歴史的コミュニティ
🇮🇳 インド
現在約100〜200人(最盛期は2〜3万人)
インドのアルメニア人コミュニティの歴史は1,000年以上に及ぶ。14〜16世紀にスーラト(インド西海岸の主要港)に定住した貿易商人が最初期のコミュニティを形成。ムガル帝国のアクバル大帝(1556〜1605年)はアルメニア人商人を優遇し、帝国内の自由な往来を許可した。
17〜18世紀にはコルカタ・ムンバイ・マドラス(チェンナイ)・アグラなど20以上の都市に2〜3万人規模のコミュニティが存在した。1734年にコルカタに建設された「聖なるナザレ・アルメニア教会」はコルカタ最古の教会として知られる。1821年設立の「アルメニア大学」(コルカタ)は現在も活動中。
アルメニア人はインドの独立運動にも参加し、1662年にはマラバールでポルトガルの征服者に対してインド人とともに戦った。ペルシャ語で書いた詩人サルマド(17世紀)はスーフィーの聖人として現在も崇敬されている。インド独立(1947年)後に人口が激減し、現在コルカタに100〜200人が残るのみ。
17〜18世紀にはコルカタ・ムンバイ・マドラス(チェンナイ)・アグラなど20以上の都市に2〜3万人規模のコミュニティが存在した。1734年にコルカタに建設された「聖なるナザレ・アルメニア教会」はコルカタ最古の教会として知られる。1821年設立の「アルメニア大学」(コルカタ)は現在も活動中。
アルメニア人はインドの独立運動にも参加し、1662年にはマラバールでポルトガルの征服者に対してインド人とともに戦った。ペルシャ語で書いた詩人サルマド(17世紀)はスーフィーの聖人として現在も崇敬されている。インド独立(1947年)後に人口が激減し、現在コルカタに100〜200人が残るのみ。
🇵🇭 フィリピン
歴史的コミュニティ(現在は極小規模)
18世紀、アルメニア人商人はマニラとマドラス(チェンナイ)を結ぶ重要な貿易ルートを開拓した。スペインがマニラへの欧州船の直接乗り入れを禁じていたため、アルメニア人(およびインド人)がインド・マニラ間の中継貿易で不可欠な役割を果たした。
マニラはスペイン領アメリカから流入するメキシコ銀の集積地であり、アルメニア商人はこの銀をアジア各地の交易網に流通させた。18世紀初頭、アルメニア人はマニラに固定した商業拠点を持ち、中国・インド・欧州を結ぶ商品(絹・スパイス・宝石・綿花)の取引を行っていた。
現在のアルメニア人コミュニティは極小規模だが、この歴史的な貿易ネットワークはアジア商業史において重要な位置を占めている。
マニラはスペイン領アメリカから流入するメキシコ銀の集積地であり、アルメニア商人はこの銀をアジア各地の交易網に流通させた。18世紀初頭、アルメニア人はマニラに固定した商業拠点を持ち、中国・インド・欧州を結ぶ商品(絹・スパイス・宝石・綿花)の取引を行っていた。
現在のアルメニア人コミュニティは極小規模だが、この歴史的な貿易ネットワークはアジア商業史において重要な位置を占めている。
🇸🇬 シンガポール・東南アジア
歴史的コミュニティ
19世紀、シンガポールにはアルメニア人商人コミュニティが存在した。1835年建設の「アルメニア使徒教会(聖グレゴリウス教会)」はシンガポール最古の教会のひとつで、現在も国家遺産として保存されている。ラッフルズホテルを建設したサルキース兄弟(マーティン・サルキース、チャリス・サルキース)はアルメニア系。
ミャンマー(ラングーン)・タイ(バンコク)・ジャワ(バタヴィア)にも小規模なアルメニア人コミュニティが存在し、英国植民地との交易で活躍した。
ミャンマー(ラングーン)・タイ(バンコク)・ジャワ(バタヴィア)にも小規模なアルメニア人コミュニティが存在し、英国植民地との交易で活躍した。
🇨🇳 中国
歴史的コミュニティ
シルクロードを通じて古代から中国に到達したアルメニア商人。19〜20世紀初頭には上海・ハルビンに小規模コミュニティが存在した。アルメニア人実業家たちは上海の租界で活躍。現在の在住者数は非常に少ないが、アルメニア大使館が北京に置かれている。
ディアスポラの文化・組織
アイデンティティを守る活動
アルメニア使徒教会
世界各地のアルメニア人コミュニティを結ぶ最重要機関。エチミアジン総主教区(アルメニア)を頂点とし、各国の教区教会がコミュニティの精神的・社会的中心となっている。アルメニア語教育・文化行事・慈善活動も担う。
AGBU(アルメニア一般慈善組合)
1906年にカイロで設立された世界最大のアルメニア人非営利団体。世界32カ国に支部を持ち、アルメニア語学校・奨学金・文化事業・人道支援を行う。本部はニューヨーク。
4月24日記念日
アルメニア人虐殺記念日(Tsitsernakaberd)。世界各地のアルメニア人コミュニティが追悼集会を開催。ロサンゼルス・パリ・ベイルート・シドニーなどで大規模デモが行われ、虐殺の国際的認知を求める活動が続けられている。
著名なアルメニア系人物
シャルル・アズナヴール(仏・歌手)、キム・カーダシアン(米・タレント)、シェール(米・歌手)、アンドレ・アガシ(米・テニス)、ウィリアム・サローヤン(米・作家)、ガリー・カスパロフ(露・チェス)、アラム・ハチャトゥリャン(作曲家)など。
ヘムシン人
トルコ北東部の黒海沿岸に暮らす、アルメニア系の出自を持つムスリムの人々。オスマン帝国期にイスラームへ改宗したため、キリスト教を軸とする他のアルメニア人コミュニティとは異なる歴史を歩んだ。東部(ホパ)の一部は今もアルメニア語の一方言「ホムシェツィ語」を話す。詳しく見る →