A Vanishing Dialect · エルサレムのアルメニア語

アルメニア語エルサレム方言

Երուսաղեմահայերէն · K‘a¬ak‘ac‘i

エルサレムの旧市街「アルメニア人地区」で千数百年にわたり育まれてきた独自の方言。
アラビア語・トルコ語との濃密な接触から生まれた語彙と、独特の抑揚を持ちながら、いまや消滅の危機に瀕しています。

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このページについて

本ページは、ハーバード大学の言語学者バート・ヴォー(Bert Vaux)氏による論文「The Armenian Dialects of Jerusalem」(in Armenians in the Holy Land, ed. Michael Stone, Peeters, 2002)をもとに、エルサレム・アルメニア語の概要を紹介するものです。細かい文法規則には立ち入らず、言語としての成り立ちと特徴を中心にまとめています。

概要

エルサレムのアルメニア人コミュニティは3〜5世紀ごろに成立したとされ、以来アルメニア語圏の中でも際立って孤立した状態を保ってきました。同時に、周辺で話されるアラビア語から他のどのアルメニア語系コミュニティよりも強い影響を受けており、その結果、エルサレムのアルメニア人地区には独自の方言が形成されました。

不思議なことに、この方言はこれまでアルメニア学者や言語学者による本格的な研究の対象になったことがなく、イスラエル国内のアルメニア人コミュニティの外ではほとんど知られていません。方言を知る人々の間でも「アラビア語の単語が混ざった、崩れたアルメニア語」とみなされがちですが、ヴォー氏の調査によれば、これは根拠のない俗説であり、実際には他のどのアルメニア語変種にも劣らず体系立った、堅牢な言語体系を持っています。

3つの変種

エルサレムのアルメニア人社会は、大きく2つのグループ——「カアカツィ(k‘a¬ak‘ac‘i、「町の人・市民」の意)」と「カアタガン(k‘a¬t‘agan、「移住者」の意)」——に分かれます。前者はアルメニア人地区の城壁の外に古くから住む土着の住民で、後者は主に1915〜1920年のアルメニア人虐殺後、オスマン帝国各地からエルサレムに逃れてきた人々です。両者はしばらく互いに距離を置いていましたが、第二次世界大戦後には通婚も進み関係は改善しました。この2つのグループと、若い世代を加えた計3つの言語変種が存在します。

① カアカツィ方言

アルメニア人地区の土着住民が伝統的に話してきた方言。本ページで主に扱う変種で、現在もっとも消滅の危機にあります。アラビア語からの影響が非常に強いのが特徴です。

② カアタガン方言

移住者たちが話す変種。トルコの特定地域の方言そのものではなく、標準アルメニア語・カアカツィ方言・トルコ語・トルコ領内の各種アルメニア語方言が混ざり合って生まれた独自の混成語(コイネー)です。

③ 「標準的」なエルサレム・アルメニア語

より教育を受けた若い世代が話す変種。文法書が定める標準アルメニア語とも異なりますが、①②に比べればアラビア語・トルコ語の影響は少なめです。

3つの変種は語彙面でもはっきり異なります。たとえば「くるみ」はカアカツィ方言で çoz(アラビア語由来)、カアタガン方言で ceviz(トルコ語由来)、「標準」では ånguyz となります。ただし、アラビア語形を使うから必ずカアカツィ、トルコ語形を使うから必ずカアタガン、というわけではなく、両方言ともアラビア語・トルコ語双方からの借用語を持っています。

歴史的背景

アルメニア人は3〜4世紀ごろからキリスト教への改宗にともなう巡礼者としてエルサレムに来住しはじめ、7世紀のエルサレム総主教座の設立によってこの流れは確固たるものになりました。12世紀には十字軍とともに約千人のアルメニア人(主にキリキアや北シリア出身)が到来したとも伝えられます。

1517年からはオスマン帝国が1918年までエルサレムを統治し、その後1918〜1948年は英国統治領、1948年以降はイスラエル領となりました。ソ連崩壊(1990年)とその後のアルメニア共和国の混乱により、東アルメニア語話者の流入も生じています。こうした歴史から、この方言には次のような層が期待され、実際にそのとおりの影響が確認されています。

時代・要因言語的影響
十字軍時代・オスマン時代の西アルメニア移民西アルメニア語系の要素(強い)
アラブ支配期〜現在まで継続アラビア語(非常に強い)
オスマン統治(1517〜1918)トルコ語(強い)
英国統治(1918〜1948)英語(ほぼ無し)
イスラエル建国以降ヘブライ語(ほぼ無し)
ソ連崩壊後の移民(1990〜)東アルメニア語(ほぼ無し)

英語・ヘブライ語・東アルメニア語の影響がほとんど見られないのは、これらとの接触が比較的新しく、話者数も少なかったためです。実際、多くのカアカツィは1990年代になるまで東アルメニア語を耳にしたことすらありませんでした。

消滅の危機

⚠️

論文執筆時点(2002年前後)で、カアカツィ方言を完全に流暢に話せるとされる話者は世界でただ1人。しかもニューヨーク在住であるため、次世代への継承はほぼ絶望的とされています。ある程度話せる高齢者が10〜15人、流暢ではないが上手に話せる人が5人程度、あとは単語やフレーズ、決まり文句をいくつか知っている人々が多数、という状況です。このペースでは10〜20年以内に流暢な話者・準流暢な話者ともに消滅すると予測されています。

背景には、19世紀半ば以降に設立された各種アルメニア人学校(タルクマンチャツ学校など)が標準西アルメニア語の普及に力を入れてきたこと、1918年・1948年・1967年の政治的動乱による地域社会の分断、欧米への移住の進行、そしてアルメニア共和国からの移民の増加によってカアカツィが人口比で少数派になったこと(1980年代でカアカツィ約1,000人に対しそれ以外のアルメニア人約3,000人)などが挙げられます。アルメニア人地区のコミュニティ自体も、裕福な世帯がエルサレムの他地区へ移り、閉鎖的な環境を嫌って多くがベイルートや欧米へ移住する傾向にあり、消滅の危機にあります。

言語的特徴

発音 — 「歌うような」抑揚

カアカツィ方言についてよく言われる特徴が「歌うような(sing-song)」独特の抑揚です。しばしばアラビア語の影響とされますが、ヴォー氏がアラビア語話者に方言の録音を聞かせたところ、いずれも「アラビア語の抑揚とはまったく似ていない」との回答が得られており、この俗説は正確ではないようです。単に標準西アルメニア語とは異なる独自の抑揚体系を持つ、というのが実情に近いといえます。もう一つ顕著な特徴は、文の中で強勢を受ける母音が極端に伸びることです。例えば「今日私たちに会いに来る?」は aysor mezi bidi k‘aaaas(k‘asの母音が長く伸びる)のように発音されます。

語彙 — アラビア語・トルコ語からの借用

カアカツィ方言の語彙には、日常的な基礎語彙にまでアラビア語からの借用が及んでいます。単語をそのまま借用する例に加え、意味だけを借りる「翻訳借用(カルク)」も見られます。例えば標準アルメニア語で「紙」を意味する t‘uxt‘ が、この方言では「(ドルマを包む)ブドウの葉」の意味でも使われますが、これはアラビア語の waraq(「紙」「葉」の両方を意味する)を下敷きにした翻訳借用です。

標準アルメニア語カアカツィ方言意味由来
step‘¬in ステブギンÀazar チャザルにんじんアラビア語
ga¬amp‘ ガガンプmälfuf マルフフキャベツアラビア語
ånguyz アングイズÀoz チョズくるみアラビア語
varung ヴァルングxiar ヒアルきゅうりアラビア語(トルコ語にも同形)
t‘anag タナグp‘åç‘ak‘ パチャクナイフトルコ語
k‘ednaxånc‘orp‘at‘at‘es パタテスじゃがいもトルコ語(元はアラビア語 batata)

興味深いのは、こうした借用が単なる「うっかり忘れ」の結果ではないという点です。あえてアラビア語形を使うことで堅苦しさを避けたり、対応する的確なアルメニア語がない概念を表したり、短く言いやすいという理由で選ばれたりと、話者は状況に応じて使い分けています。またカアカツィのアラビア語要素は、標準アラビア語ではなく地元のエルサレム・パレスチナ方言に基づいている点も特徴的です。

言い回し・ことわざの例

ays tari anc‘revnerå eger en ßad
ßad horerå lec‘ver en let‘åmmo
ga®avarut‘yunå åser e Àurerå dabk‘ek‘ u xåmek‘

「今年はたくさん雨が降った。たくさんの穴が縁までいっぱいになった。政府は言った、『水を揚げて飲め』と」——アラビア語由来の表現 let‘åmmo(「縁まで」)が使われた、皮肉のこもった言い回し。

ga¬t‘agannerå ga…in ekan a®anc‘ vardik, e¬an mardik
k‘a¬t‘agannerå k‘ac‘in yegan a®anc‘ vardig, ye¬an mart‘ig

「移住者たちは下着も持たずにやって来て、(そして)一人前の人間になった」——カアカツィとカアタガンの間の緊張関係を物語る、現在では和解の意味も込めて語られる決まり文句。

まとめ

エルサレム・アルメニア語は、3〜5世紀にさかのぼる古いコミュニティの中で育まれ、周囲のアラビア語・トルコ語との濃密な接触を経て独自の姿を持つに至った、生きた言語変種です。しかし特にカアカツィ方言は、話者の高齢化と国外への離散によって、今まさに消えようとしています。ヴォー氏はこの論文で、専門家による本格的な調査と記録——とりわけ独特の抑揚を後世に伝えるための音声記録——が急務であると訴えています。

出典:Bert Vaux, "The Armenian Dialects of Jerusalem," in Armenians in the Holy Land, ed. Michael Stone (Louvain: Peeters, 2002).
本ページの内容は上記論文を参考に独自にまとめたものであり、「言い回し・ことわざの例」の2件は、方言の実例を示すために必要な範囲で原文から引用し、地の文と明確に区別した上で出所を明示しています。著作権法に照らして適切な範囲内で引用しています。