メスロップが生きた時代(4〜5世紀)、アルメニアは深刻な政治的・文化的危機にあった。 387年のアキリセネの和約により、アルメニアは東ローマ帝国(西部)とサーサーン朝ペルシャ(東部)に分割支配された。 アルメニア王国は事実上解体され、428年にはペルシャ側のアルメニア王制も廃止された。
政治的統一を失ったアルメニア人にとって、キリスト教信仰と独自の文化こそが民族的アイデンティティを守る唯一の柱となっていた。 しかし重大な問題があった——アルメニアには独自の文字体系が存在しなかったのである。
- 聖書・典礼書はギリシャ語またはシリア語(アラム語系)で書かれていた
- アルメニア語で説教できる聖職者が極めて少なかった
- 民衆は礼拝の内容を理解できないまま儀式に参加していた
- ペルシャ側ではゾロアスター教への改宗圧力が高まっていた
- ギリシャ語・シリア語の文化的浸透がアルメニア固有文化を侵食していた
- ギリシャ文字:ローマ帝国の影響下にある西部で使用
- シリア文字(アラム語系):キリスト教の典礼言語として使用
- パフラヴィー文字:ペルシャ支配地域で使用
- アルメニア語は豊かな口承文学を持っていたが、書き言葉を持たなかった
- 1音1文字の原則——アルメニア語の各音素に対して1文字を割り当てる
- 左から右への書記方向(当時の中東の文字はセム系の右から左が主流だった)
- 母音を独立した文字で表記(セム系文字では母音が省略される)
- アルファベットの順序をギリシャ文字を参考に設定
アルメニア語の全音素を正確に表現できる画期的な文字体系である。
文字が完成するや、メスロップとサハク1世はすぐに聖書のアルメニア語訳に着手した。 まずヨハネ福音書の冒頭(「はじめに言葉があった」)を翻訳したとも伝えられる。 翻訳チームには、コリウン・エゼニク・コグバツィ・ホヴハン・エゲグナツィなどの 優秀な弟子たちが参加。コンスタンティノープル・アンティオキア・エデッサにまで赴いて 原典写本を収集し、慎重に翻訳を進めた。
この聖書訳(「王の聖書」とも呼ばれる)は言語的な美しさから 「翻訳の女王」と称され、現在もアルメニア文学の最高傑作のひとつとみなされている。
メスロップが創案した文字体系は、ほぼ原形を保ったまま現在まで1,600年以上使われ続けている。 世界の文字史において最も長く継続使用されている文字のひとつ。 2019年にユネスコ無形文化遺産に登録。
その後のサーサーン朝・アラブ・セルジューク・オスマン・ソビエトによる支配下でも、 アルメニア文字はアルメニア人のアイデンティティの砦となった。 外国文化への同化を防ぐ「精神的な鎧」として機能し続けた。
文字の誕生により5世紀アルメニアに文芸黄金時代が到来。 エズニク・コグバツィの『異端論駁』、コリウンの『マシュトツ伝』など 高度な神学・哲学・歴史文学が生まれた。 ギリシャ語原典が失われた文献がアルメニア語訳のみで現存する例もある。
1915年の大虐殺後、世界各地に離散したアルメニア人にとって、 アルメニア文字は民族の絆を保つ最も強力な象徴となった。 レバノン・米国・フランスのアルメニア人学校では今もアルメニア文字が教えられる。
アルメニア使徒教会は毎年10月第3土曜日を「翻訳者の聖日(Targmanich'ats)」として祝う。 メスロップとその弟子たちを記念する祭日であり、アルメニア民族の文化的守護者として 現代でも深く崇敬されている。
言語学的な観点から見ると、アルメニア文字は当時の音声学的知識を高度に応用した 精密な文字体系である。 1音1文字の原則を徹底し、アルメニア語特有の音素(Ծ・Ձ・Ղなど)も正確に表現できる。
メスロップの生涯を最も詳しく伝えているのは、弟子のコリウンが5世紀半ばに著した 『聖メスロップ・マシュトツの生涯(Vark' Mashtots'i)』である。 コリウン自身もメスロップのもとで学び、各地の翻訳事業に参加した「翻訳者の世代」の一人。
この伝記はアルメニア語で書かれた最初期の文学作品のひとつとして、 文字創案の経緯・メスロップの布教旅行・弟子たちの翻訳事業を詳述している。 コリウンの記述はアルメニア語で書かれており、まさにメスロップが生み出した文字で メスロップ自身の生涯が記されているという、深い象徴性を持っている。